政治家は、学歴経歴が看板

旧コラム

公約は判断基準ではない、の続き。

となれば、リーダーを選ぶ際は、その公約とかではなく、できれば、能力、資質を見たい。でも、多くの人間は政治家と個人的な付き合いはない。実際に会ってゆっくり話してみる、ということが不可能だ。

個人的な付き合いがない人間のことを判断しなければならないとするなら、それはもう、学歴、経歴頼みになる。これは仕方のない話だ。それしかこちらが手にし得る情報がないんだから。

はい、随分遠回りしたが、元の話に戻るよ。今回の沖縄知事選でも、同じ。公約なんざ、どうせ守りはしない。前回の仲井真もそうだったし、今度の翁長だって、公約に反して、基地は辺野古になる。これはもう確実。

だから、公約はさほど重要ではなく、というか、今回の候補者連中もどうせ実現できねぇことばっかり並べてやがるんだからw、どうでもいい。むしろ、候補者の学歴経歴、これだけで選んでも良いぐらいだ。

つまり、学歴経歴こそが看板、ということだね。ところがよ、県知事選の候補者、多くが、あまり立派な看板じゃねぇんだよなあw。何でだよ、俺にはこれが全く理解出来ないね。

知事でも議員でも、人を指導する立場になろうという野望を持つ人間が、何で、たかが学歴経歴ぐらい、綺麗にして来ねぇんだよ。こんな簡単なことすらできない奴に、政治とか、勤まるのか?俺にはそれが許し難い。

話は飛ぶが、例えばよ、プロ野球の監督。あれって、座って采配しているだけだろ?見ている俺からすれば、俺の方がうまく采配できるって思ったりするんだよ。そういう経験、皆、ないw?

(続)

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