【新しい表現を・9】火事は嘘

助動詞「れる・られる」、「火事は嘘」。聞いた事はあるんじゃねえかなあ、どう?「可能」「自発」「受身」「尊敬」。「れる・られる」にはこの4つの使い方があって、それぞれの頭の一文字を取って、「か(可能)じ(自発)は、う(受身)そ(尊敬)」。初耳?まあいいや、例示するから。

「私は山羊肉を食べられる。」可能。

「今日は寒いと感じられる。」自発。

※自発の「れる」「られる」は数が少なくて、「思われる」「感じられる」など、人間の感覚だけ。

「ヤンバルクイナはマングースに食べられる。」受身。

「社長は意外に庶民的で、良くラーメンを食べられるそうだ。」尊敬。

日本語って糞うぜえ、って感じだね。同じ「れる」「られる」を文脈によってこう区別し判断し理解しなきゃならない。俺がこんなのを習う外国人の立場なら、切れる。

「ら」抜き言葉に戻ろう。俺もこう言う受験教育的な物で餓鬼の頃から育って来たから、「ら」抜き言葉には違和感がある。積極的に使おうと思っている今でも、少し罪悪感の様な、何と言うか、意図的にやらないと出来ない様な、変な感覚がある。でも、使うよ。

火事は嘘、と言うが、日常の場面では「自発」「尊敬」は余り使わない。先に述べた様に、「自発」は数が少なく、「尊敬」も最近では敬語自体が怪しくなって来て、使う頻度は減っている。

つまり、「れる」「られる」の一番の急所は、「可能」か「受身」か、だ。この2つは特に意味が大きく変わって来るんで、絶対に区別しなければならない。ところが、助詞を無視した場合、この助動詞の意味は完全に文脈に依存すると言うのが手痛い。

(続)


慶留間島。

これで水の中だからな。透明度が凄い。

桟橋から魚が丸見え。

左の建物は慶留間小中学校。生徒数は全学年合わせて16人。

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