【和食46】黄昏に飛び立つ

梟は夜行性なので、ミネルウァは夕暮れになると、飼っている梟を街に放ち、1日の出来事を探らせて、自らの知恵を高めた。この神話をヘーゲルは引用し、この言葉を述べた。

「ミネルウァの梟」は哲学の比喩で、「黄昏」と言うのは「1つの時代が終わった後」を指す。つまり、この言葉は、歴史を後から読み取るのが哲学である、と言う意味だ。もっと言えば、哲学は後付けに過ぎない、と言うこと。

これは良い言葉。哲学は、歴史が終わった後でなければ答えなど出ない。いや、永遠に出ないだろう。人間が、あーでもない、こーでもないと、メビウスの輪の中で永久に考え続ける、それが哲学。

他の、いわゆる理系的な科目は、数学や物理にしても、ある程度の明確な答えはあって、先を予測することが可能。物理法則から、物体の動きを予測することは、ある程度は可能だ。

数学や物理も、この世の全てを解明出来ていない点では、完成形には程遠いけどね。それでも、文系学問に比べれば遥かにまし。政治も経済も、全くうまく行かないからな、学者が必死になって研究しているはずなのに。

哲学も同じで、これを勉強したからと言って人間の歩むべき道が見えて来る訳では無い。哲学に、自分を導いてくれるとか、変に期待するべきじゃない。その点で、ヘーゲルのこの言葉は素晴らしい。

(続)

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