【和食05】植民と移民

旧コラム

敢えて刺激的な言い方をした。日本語と言うのは不思議なもので、「植民」と言う言葉は著しくイメージが悪い。無論、戦前の植民地帝国主義の印象のせいだ。だがこれを、「移民」と変えると、イメージは一変、そう悪くもない。

「植民」と「移民」に実質的な差があるわけじゃない。一応は、強い国家が弱い国家を征服して自国民を移住させるのが「植民」、弱い国家から職を求めて新天地に行くのが「移民」、とは言えるか。

だが、植民も移民も、そこに現住している人間からすれば余所者に過ぎず、それは必ずしも敵対者とは限らないが、自らの生活を圧迫するケースが多く、少なくとも現在の生活様式に大きな変化を加える者達であることは間違いない。

実際、過去における植民が現在では否定されているのは勿論のこととしても、移民も数多の問題を引き起こしている。アメリカの移民法やKKK、オーストラリアの白豪主義、現在のヨーロッパにおける移民排斥運動などなど。

シリアの様な、難民と言う形での移民問題も深刻だ。だから結局、植民だろうが移民だろうが、難民ですらも、文化の衝突と摩擦を引き起こすという点では、何ら変わりはない。言葉の上辺に惑わされては駄目だ。

現在でこそ、沖縄は日本本土からの移住者を受け入れる側。だが、過去を見ればむしろ移民であった側だ。英語では「immigrant(入って来る移民)」「emigrant(出て行く移民)」で区別されているのだが、日本語ではこれがないね。

(続)

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