久松五勇士

旧コラム

中之島ビーチ、の続き。

まだ時間はあるので、久松五勇士の碑に寄る。橋近くの集落、久松にある記念碑。久松は、昔ながらのフクギ並木で囲まれている、鬱蒼として静かな小さい集落。

久松五勇士とは、1905年日露戦争中、漁師が宮古島近辺で日本へ向かうロシアのバルチック艦隊を発見、これを日本本土へ伝える為に奔走した五人のこと。

宮古島には通信施設が無かった為、久松の漁師の五人は、通信施設のある石垣島までサバニを漕いで渡り、石垣東岸から30キロを歩き、この情報の電信を那覇へ、そして日本本土へ伝えた。

この情報自体は直接の役には立たなかったものの、見事、日本海海戦で東郷平八郎率いる日本海軍連合艦隊がバルチック艦隊を打ち破った。そして、久松五勇士は愛国の象徴として顕彰された。現在、サバニを象った碑がある。

こういう話も沖縄の教科書に載せるべきじゃないかねえ、知事さんよ。ここに来て被り物を脱いで礼をすべきだと思わないか?さて、二日走り回ったし、疲れたので、ちょっと早いけど帰ろう。

宿に戻って、レンタルチャリを返却して、1軒目、昼飲み出来る食堂兼居酒屋「あぱら樹」へ。宮古島では昼から飲める店はほとんどないので、助かる。一般的な沖縄料理で、店内は広くゆっくりできるし、メニューは豊富。

(続)

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