水田

旧コラム

前の続き。

これは明治以後の皇民化政策の結果であり、同様に、御嶽にも鳥居が設置され、神社とされた。多くの場合、戦後にこの鳥居は撤去され、元の御嶽になったのだが、この伊平屋島はそのまま神社として残された、ということだろう。

既に述べたが、この島には天岩戸伝説などがあって「日本皇紀のルーツ」ともされた。その為、神社を捨て切れなかったのだと思う。もし鳥居を捨てるならば、それはその伝説を自ら否定することになるのだから。

そこには「琉球だけれども日本でもありたい」という複雑な感情が見え隠れする。「御嶽も大事だが神社も大事」という、ね。地理的にも沖縄と鹿児島の県境、難しい選択ではあっただろう。

先へ。この我喜屋集落にはダムもあって、農業も盛ん。そのダム湖を見ようと、きつい上り坂を行く。離島にしては立派なダムだな。この島は農業と漁業で自給自足も可能だと思う。それが観光に力を入れて来なかった原因でもあろう。

ここから一気に爽快な下り坂、美しい海を眺めながら、再び野甫島までチャリを走らせる。この付近の色は素晴らしい。野甫島の展望台などを満喫した後、西回りで我喜屋に戻る。この時、水田に青々と茂る稲穂を見られて満足した。

こんな日本的光景は沖縄にいるとなかなか見られないからな。この集落では二期作をやっているようだ。一期目は6月下旬から収穫、二期目は11月下旬から。収穫前、稲穂が垂れ始めの頃だった。

(続)

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