沖縄の奄美差別

島唄、の続き。

三味線は曲によってずいぶん弦を調節するんだな。最後は沖縄のようにテーブルの周りを踊ってお終い。沖縄ではカチャーシーと言うが、奄美では「六調」と呼ぶ。

「唄、踊り、三味線(さんしん、しゃみせん)、太鼓(ちぢん、と呼ぶ)、指笛、掛け声」これら六つが調うことから「六調」、ということだ。本来はこの店でやったのよりももっと激しいものと聞いた。

3軒目、小さい家庭的な店、「彩花」。息子と母ちゃんでやっている。客も料理を出すのを手伝ったり。あばし(アバサー、ハリセンボン)の唐揚げは骨が多くて食いづらいけど、帆立の貝柱のようなコクがあってうまかった。

隣の一人で静かに飲んでいた、おしゃれな爺さんと話す。島の話をいろいろ聞けた。その中には差別の話もあった。穏やかな口調で語っていたけどね。俺が沖縄から来ていたので少しそういう話になった。

簡単に言うと、戦後奄美と沖縄は米軍の統治下にあったが、経済活動の中心は沖縄であった為、奄美から沖縄へ移住する者が多かった。だが、奄美は沖縄よりも早く、1953年に日本に復帰した。沖縄は1972年に返還。

その妬みと、奄美からの移住者により職を失う危機感から、沖縄の人間は、公職追放、参政権剥奪など、奄美からの移住者を差別する政策を取った。民間でも住宅への入居拒否や商取引拒否などが横行。

(続)

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