8月15日の重苦しさ

旧コラム

瀬戸内町、の続き。

戦時中、この弾薬庫の存在は住民すら全く知らなかったそうだ。それほどまでに秘密裏に作られたもの。米軍が奄美に上陸した場合に備えた虎の子の弾薬だったのかも知れん。

戦後に武装解除が行われ、その際にここから弾薬が運び出されたことで、初めて公に知られることになった。この弾薬は大島海峡に捨てられたとのこと。

真夏にもかかわらず弾薬庫内はひんやりとしていた。外で鳴く蝉の声とこの戦跡。日本人ならば誰もが感じるであろう、8月15日の、えも言われぬ重苦しさと同様のものをふと感じた。

瀬戸内町の中心集落、古仁屋に着いた。食事でもしようか。ここは港町、やはり海の幸が良いだろう。街中にあった「あま海」に。ここは魚屋なのだが、店内で食事もできる。海鮮丼を頂いた。ここで養殖している近大鮪入り。

近大鮪は黒鮪。でも、らしくない味の気がした。沖縄の鮪に慣れてしまったからか?丼にかかっているレモン汁と白胡麻が余計かな。この辺は魚を食い飽きている漁師らしい出し方か。刺身醤油は甘いね。これは九州特有。

近くの油井岳展望台へ。瀬戸内町ではここが一番標高が高いようで、眺めが良い。奄美大島の最高峰は宇検村の湯湾岳で694m。こちらにも展望台があるのだが、寄るのを忘れてしまった。

(続)

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