【オリンピック・4】観戦しても、変わらない

管巻き

大体、御前ら、テレビの前で座っているだけで、何もしてねえじゃん?吉田の兄貴が負けて泣くのは分かるよ。血の滲む様な努力をして来て、金メダルに及ばなかった、その絶望感、屈辱。泣く資格はあるね。

テレビで眺めている御前らには、ねえよ。怒る資格も、当然ねえ。ただ座して見ている奴に、そんな権利はない。まあ、泣くのはぎりぎり、ありかも知れんな。自分への後悔から。

吉田兄貴はこんなに努力して悔し涙まで流しているのに、それと比べて、自分はいかに怠けている卑小な存在か、そこに絶望と後悔の念を抱いて涙を流すのならば、分かる。

ならば、改心して、今すぐテレビを消して、自分の目標に向かって邁進すべきだ。やるべき事を今すぐやれよ。

やらんだろ、どうせ。今日は飲んでいるから、明日から頑張ろうとか、そんな風に思うだけだ。で、寝て起きた明日の朝は、こんな誓い、頭の片隅にもない。いつもの日々をいつもの様に送るだけだ。そうだろう?今まで、そうだっただろう?

「元気を貰った」「勇気を与えてくれた」、ほーん、言ったな?その言葉、確と忘れるな?元気や勇気を貰って、何も変わらない、とか、あり得んからな?今日の御前は昨日の23倍ぐらい出来る社員になってないとならんぜ?契約件数も倍は確実、期待して良いよね?、と、社長は言うだろう。

御察し。こんな台詞を軽々しく吐ける奴は、絶対に変わらない。元気も勇気も、与える事は出来ないし、貰えない。自分で作り出す物だ。自分が変わろうと言う意思を自分の中で自分の動機で作り出せない限り、無理だね。

愚民が、オリンピックなどのスポーツを、テレビで見ながら泣くと言うのは、贖罪、なのだと思っている。画面の中の、努力をした本人にしか分からない涙を、勝手に貰い泣きして共有する事で、何も成す事が出来ていない矮小な自分を、現実を、贖おう、ごまかそう、としている。一緒に貰い泣きする事が免罪符になっている。

無論、泣いた所で、努力をしていない御前の罪は少しも軽くなりはしないし、明日からの現実にも何も変化は起きない。スポーツを観戦しているだけで自分が変われるかも、なんてのは幻想だ。自分の意志でしか、自分は変われない。

(続)


ミチヲからの写真。南大東島、海軍棒プール。この、色よ。

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