理系信仰・3

管巻き

別に医者に限らず、理系って俺は魅力を一切感じなかった。歯車に見えるんだよ。人間計算機に見える。例えば数学、答は1つに決まっているんだろ?そこに悪戦苦闘、阿呆かな?

答がもう既に1つに決まっている物に、議論を差し挟む余地なんてない。誰がやっても同じ答。その途中経過のルートの多様性に魅力を感じているみたいだけど、結局同じ、楽しいか?これ。これこそコンピューターにやらせたら良いじゃん?

答が分からんことを延々と議論する事こそが楽しい、答なんてなくて良い。これが文系脳かな、って思っている。人間がこの世でやっている事に、正しい事なんてないから。

「正しい歴史」なんてないし、「正しい政治」なんてないし、「正しい報道」なんてないし、「正しい文学」なんてない。正答がないからこそ学問なんじゃねえの、ってね。

最近、文系って軽視され過ぎていてね、いや確かに、私立文系とか遊んでばっかりの糞野郎共だから、俺も実体験したし、その批判は全く正しい、貶されるのは正しいと思っているけど。上の「正しい」に対する言葉遊びね。

もっと狭き門にして良いなとは思うね、文系って。学問に本当に向き合いたい一部の人間だけが行く様な所にしたら良い。あ~、法と経済は必要か、こいつらも歯車だけど、それ以外は簡単に認可すべきじゃない。

ま、こんな事ばっかり言っていると敵を作るだけなんで、やめて置きますか。只、何も考えずに手に職を、だから理系、文系でも就職し易い法とか経済、こう言う選択をする輩は詰まらねえな、ってね。


朝のビーチは人がいなくて良いね。

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