【和食45】ミネルウァの梟

旧コラム

「格率」、maximの訳語だが、maxim自体は「格言、金言、行動原理」と訳される。カントの言う「格率」は、自分だけに当て嵌まる主観的な行動原則。「早寝早起きしよう」とか「酒は飲まない」とか、自分で自分に課したルールのこと。

このカントの言葉は、要するに、「自分の行動原則は普遍的に正しくあれ」ってこと。砕けて言えば、「自分の心の中を覗かれても、その動機を知られても、誰にも恥ずかしくないように、道徳的に行動しろ」ってことだ。

言いたいことはわからなくはないが、そんな良い言葉ではないと思うけどね。人間はこう生きるべき、みたいなのは、うざい。人間、毎日毎日こんな行動原則で縛られていたら、窮屈で敵わん。

こんなんだったら、酒飲んで管巻くのも許されないからね。哲学は、人間はこうあれ、なんて、傲慢な学問であっては駄目だ。飽く迄、人間を、世界を、こんな風に捉えたら納得出来るのではないか、と言う程度だ、哲学は。

これに関しては、最近勉強した言葉があるので、一つ紹介。「ミネルウァの梟は黄昏に飛び立つ」。カントから遅れること30年、先に紹介したヘーゲル、その著書『法の哲学』にある言葉。

ミネルウァと言うのはローマ神話における知恵の女神。ギリシア神話の知恵の女神アテーナー(アテネ)と同一視される。ミネルウァは梟(ふくろう)を飼っていたことから、西欧では、梟は、知恵の象徴とされ、森の哲学者とも呼ばれる。

(続)

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