【和食10】見えざる手

旧コラム

植民をすれば、植民もされる、因果応報、仕方あるまい。ちょっと話が飛んだ感じだが、元に戻そうか。沖縄の外食が、沖縄料理一辺倒でなく、和食などが増えて多様化して来たということは、ただ偏に、ニーズがあるからだ。

まずは沖縄県民の変化から。ないちゃーの増加とは無関係に、内部の人間の変化について。要は、沖縄県民の食生活の嗜好の変化、と言うことだ。

需要と供給は「見えざる手」により調節されているのだから、外食の多様化と言う供給側の変化は、需要側の変化でもある。つまり、沖縄の人間が沖縄料理を口にする機会を減らし、他に手を出したい、実際出している、と言うこと。

沖縄の食文化を裏切っている沖縄人が増えている、ってことだ。沖縄に生まれ育ちながら、沖縄料理を敬遠し、多文化の料理を食している、そういう奴らの数が増えているからこそ、そのニーズに応え、外食は現在多様化している。

だからこそ、先に述べた通り、植民が完了したと言っている。沖縄人としてのアイデンティティーも薄まりつつあるということだ。

大袈裟と言われるかもしれないが、然に非ず。食文化と言うのは人間の毎日と切っても切れない部分であり、ここが変化するならば大きくアイデンティティーも変化する。

(続)

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