客観的な歴史観は可能か

旧コラム

精神の高揚、の続き。

そういう意味では、全面戦争ができない人間は、もう精神的進化はできないのかもしれないな。早く宇宙に進出してガンダムの世界のように戦争を始めないと。そうしないとニュータイプにはなれないね。

何の話か分からなくなって来たな。要は、戦争の善悪、そういう現代的な価値観を歴史に持ち込んではならない、ということだ。歴史というのはもっと淡々とした事実の羅列であるべき。大河ドラマのようなものは不要。

ただ、実際問題、これが可能か、となると厳しい。出来得る限り中立的立場で客観的に歴史を俯瞰できれば良いのは言うまでもない。だが、歴史は所詮人間が解釈するもの、その時々の価値観が加わってしまう。

例えば、足利尊氏は、明治中期から昭和前期の間は「逆賊」という評価だった。天皇家を南北朝に分断して北朝を支援したので。明治の頃は南朝を正当とみなしていたから。だが、戦後以降は肯定的評価をされている。

最近だと、5代将軍、徳川綱吉。「生類憐みの令」の悪法で有名だが、これも再評価されて来ているよう。「犬公方」などとも言われていたように、余りにも行き過ぎた動物愛護、というのがちょっと前までの評価だ。

だが、当時の日本では道徳観念が低く、病人、老人、子供を平気で捨てていたらしい。本来はそれを諌めた法であって、日本人の民度の向上に一躍買った、というのが最近の見解。

(続)

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