音楽の限界

旧コラム

前の続き。

沖縄の将軍様御用達の某糞チェーンなんざ、自前のテーマ曲を作って電波音楽を垂れ流したりしているしよ。いつものテーマ曲だけでなく、新装開店専用の音楽まで作りやがったぜ、こいつら。

チョンボ君ってマスコットとかもやっているしな。いい名前だろ、チョンボ君。北チョンのチョンと、インチキのチョンボをかけた、我ながらいいネーミングだと思っている。これに改名しろ。で、那覇祭りの時なんかに一切姿を現さないで。

あ~、話を戻そう。現在ヒット曲がないのは、単純に音楽の限界だと思っている。音楽が無限のわけがない。人間の聞こえる音には限界がある。その中で、聞いて心地良い音の組み合わせ、となれば、更に限られる。

現代に至るまで、多種多様の音楽が生み出されて来たわけで。そろそろ限界だろう。最近、パクリ疑惑が頻繁に騒がれるのは、最早自分で新しい音楽を生み出すことが不可能であることを意味している。

全くの真っ新から作ったとしても、誰かの音楽に似る。これはもう仕方ない。人間が音楽として楽しいと思える音の組み合わせが、その方向性しかない、ということなのだから。

誰かの通った道を再び歩んでいるから、必然的に似るだけ。パクるつもりはないけども、勝手に似てしまう。もし、似るのを嫌がって、奇を衒った音階に持って行ったとしても、それはヒットしない。聞くに堪えない音になるだけなのだから。

こう考えると、今後音楽業界で名前を残そう、ヒットを生み出そう、というのは、相当なハードルがあるように思える。完全に斜陽産業だね、パチ業界と同じく。

(続)

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