「小判鮫みたいな」

旧コラム

前の続き。

可愛そうだろうが。適者生存の結果こうなっただけなのに、なぜそれを馬鹿にされなければならないのか。小判鮫に罪はないだろうよ。

が、「小判鮫みたいな野郎だ」と、人を馬鹿にする代名詞に使う。これは自然を冒涜していると思うんだよね。人間の価値観を小判鮫に押し付けているようなもんだ。奴らは奴らで生きるのに必死なのに。

「警察の犬」「豚野郎」「食って寝ると牛になる」「鶏並みの知能」「従順な羊」「猿真似」「古狸」「金にたかるイナゴ」「社会の寄生虫」などなど、たくさんある。極論をすれば、「益虫」「害虫」という概念も。

動物も虫も、これだけ馬鹿にされる。山羊なんて、キリスト教では悪魔の化身だし、ゴキブリなんて、その名称だけでマイナスイメージを持たれる。黒猫は縁起が悪いとか。今でもイタリアではこの迷信で黒猫が殺されたりするらしい。

人間のエゴ丸出し。どんな生物だってその生き方を否定される謂れはないはずだ。少なくとも、動物愛護団体や自然環境保護NGOの連中がこの辺の言葉を使うのならば、それは矛盾している。てめぇら、絶対に口に出すなよ?

ま、俺は生物同士、常に生存競争だと思うから、人間の敵になるとか人間の食い物とか、そういうのを見下す感覚は致し方ないと思うがね。だから、今までのを覆すようだが、この辺の言葉が生まれるのは止む無しかな、とも思う。

実際問題、「小判鮫」自体は可愛いし、自然の中でこんな生き方、素直に感嘆できるが、「小判鮫みたいな野郎」との付き合いは御免被る。人間でありながら小判鮫なのは全く可愛くはない。

(続)

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